日本語教師の日常

現役日本語教師として、留学生と一緒に奮闘中! 

すべてペケ(×)と見なすか

ある日、学生のテストで

 

『・サルが動物園から(         )出して、警察に電話をかけた。

          あふれ・飛び・助け

カッコの中に当てはまる言葉を選び、形を変えなさい。』

 

という問題がありました。

答えは、『(飛び)出して』です。

私のクラスの学生は90%が

『サルが動物園から(あふれ)出して』

 

面白くて、笑ってしまいました。

動物園から溢れ出すということは、急激に何かが増えるので、そうなることは、考えつかないのですが…笑

 

バツをして、次の日学生に面白い間違いがありましたと伝えました。

 

私『今回のテストはすごく面白い答えがありました。サルが動物園から〜溢れ出す!何ですか、これは!』

学生『爆笑』

学生A『先生、急に子どもがたくさん生まれましたね!』

学生B『ほかの動物も大変だね!この動物園サルだけ!』

学生C『サル園ね!』

 

私は、この日嬉しかったんです。

本当は間違えの回答ですから、バツです。

本当は残念なことです。もう勉強した文法事項でしたし、またできなかったかーと思いました。

それよりも、学生と間違えたけど、面白い間違えを日本語という言語で笑いあえたことが非常に嬉しかったです。

 

あるインスタグラマーとママさんが

『子どもが小さい頃は、できる・できたことを見ていた。大きくなるとできないことばかり目にいきがちになる。』

と話していました。

 

私も同じでした。学生が日本へ来た頃は少しずつでもできるようになったことを褒めて、よし!と思っていました。月日が経つと、どうもできないことばかり、目がいき、怒りがちでした。

 

テストではバツです。不正解です。

でも、テストの結果も大事ですが、プラスアルファーの出来、上達にも喜び、目が行き届く先生になりたいと感じました。

 

この時、言語教育が子育てと似ていると言われる意味を改めて感じました。

 

日本の小学校でも問題になりました。

テストという観点から見ると、不正解。

そのバックグラウンドを見ると、新たな閃きだったりします。

そのバックグラウンドを見られる先生にもなりたいです。

私はその結果にたどり着いたバックグラウンドに学生の成長が見られのではないかとかんかえています。